徒然子日記

社会人女子大学院生の徒然日記

社会人で大学院生を目指すまで(1)

2022年の5月、6年間勤めた会社を退職し次の職場へ。

前職で営業職だった私は、「大事なお客様を置いて転職をした」という意識が強くあり、お客様から離れてしまったからには、次の職場では必ず自分が好きなこと・本当にやりたいことをやろうと心に決めていました。

 

旅行記の中にもたびたびその思いが表れているように、海外が好きで幼少から国際協力に興味関心がありました。

それでも新卒で国際協力分野に真っ向から飛び込む勇気はなく・・

しかしいつか青年海外協力隊に行きたいと思い、文型でも青年海外協力隊へ応募可能な枠として「観光」で将来は応募しようと思い、新卒の就活期間中に旅行会社をたくさん受けるも、すべて不合格!!

きっと、どうしてもこの会社に行きたい。よりも、いつかはこの会社を辞めて青年海外協力隊に行きたい。と顔に書いてあったからだと思います。

 

就職活動で見事に遅れをとり、内定をいくつもゲットしている友人から指導を受けることに。就職活動のやり方を徹底的に見直し、水の会社から内定をゲットしました。

旅行がダメでも、「水」なら様々な年齢や国籍関係なく多くの人の役に立つのでは。と思い水インフラ企業に就職したのです。

 

希望の海外営業には配属されず、国内営業に従事し、社会の波にもまれ6年。

学生のころは井の中の蛙であったことを痛感し、どうやったら立派な営業になれるか?どうしたらプロジェクトを成功できるか?

に無我夢中で立ち向かい、正直、入社したころの思いや夢も忘れかけていました。

 

それでも、入社6年目ともなると仕事も少々こなれ、プライベートの時間をより一層楽しめるように。

その度に、心の中で「ずっとこのままでいいの?ただただ働いて、1日が終わるだけの毎日でいいの?本当にやりたいことには蓋をしていくの?」

そう囁やいてくる自分もいて。

 

しかし、30という年齢を目前に、

「やっぱりこのままじゃダメだ!社会の波にもまれて流されてしまう!

本当に私がやりたいことをやらなくちゃ。ボランティアや私1人の力じゃ無力かもしれないけれど、それでも何もしないよりはいい。これだけ恵まれた国に産まれたのだからせめて微力でありたい!!」

と強く思い直し、仕事を辞めて国際協力の道に進路変更することにしたのです。

 

 

30歳に近づき自分の本当に好きなものや、コロナ禍を経て他人との心地の良い距離感もわかってきたころ、

結婚や出産などライフイベントを続々と迎えていく友人がいる中で、まったく未知の、別の分野に舵を切るのは正直ものすごく怖かった。(私も結婚はしていました)

 

それでも、やる後悔よりやらない後悔!の方が大きい。

今日が人生で一番若い日!!

 

そう、自分に言い聞かせて、楽しさと煌びやかさで溢れているSNSの世界をオフにして、自分自身と向き合う事にしたのです。